今回は二上山東麓から竹内街道周辺にかけての奈良県當麻町【域の古墳を見学しました。周辺はいわゆる南葛城地域の北部にあたり、葛城系氏族とゆかりの深い地域です。
近鉄当麻駅に9時に集合し、午前中は首子5号墳・1号墳(櫟【山古墳)、鳥谷口古墳(横口式石槨)、当麻寺(石灯籠)、竹内古墳群を見学しました。
竹内街道付近の芭蕉塚で昼食休憩の後、午後は鍋塚古墳、兵家【古墳群、芝塚1号墳(2号墳石棺見学)、平林古墳(横穴式石室)、塚畑古墳を見学して16時頃、解散となりました。およそ10キロのコースでしたが、中期〜後期の首長墓、群集墳、終末期古墳とバラエティーにとんだ古墳を見学することができました。
また、この地域では二上山系石材の石棺の出土が多数知られており、二上山周辺の石切場(岩屋峠西方、鹿谷寺【跡付近、牡丹洞【東方、田尻峠北方〜ドンズルボー西方など)と石材の特徴について詳細な説明もありました。當麻町周辺では岩屋峠西方の石材が多いとのことで、同地点は在地首長の棺の石切場だったようです。
また、組合式石棺の石材が数カ所の石切場から集められている例も紹介され、石切場をまとめて統制する勢力の存在が示されました。芝塚1号墳では2号墳の石棺を見学できましたが、参加者の一部は目を凝らし、石切場を特定する岩石探しに懸命でした。
今回、内部施設を見学することができたのは、鳥谷口古墳と平林古墳です。
鳥谷口古墳は、二上山系石材からなる石棺の仕掛り品を集めてつくられた特異な横口式石槨を持ちます。二上山の雄岳から伸びる丘陵上につくられた7世紀後葉の終末期古墳で、石槨内部は火葬骨や改葬骨を入れる空間しかないことから刑死した大津皇子(686年没)の墓の可能性が高いようです。
平林古墳は、6世紀後葉の横穴式石室を内部主体とし、奥壁を壁面上部から持ち送る特徴と、石室構築の基準位置に特定の石材を用いる特徴に関して説明がありました。白石太一郎氏により「平林式」として畿内大型横穴式石室の標識とされる古墳だけあって、参加者は見応えのある石室に見入っていました。
次年度、開催予定の『葛城の古墳めぐり パート2』では新庄町域の古墳を歩く予定で、南葛城地域の理解をより一層深められると思います。みなさんのご参加をお待ちしております。
今回の古墳めぐりの詳細については、「考古文化の会」会報、『考古文化』第20号に掲載しました。
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