1950年生まれ。
1966年
兵庫県立御影高校で地歴研究部を創設する。同級生には故楠元哲夫氏(元橿原考古学研究所研究員)がいた。同年夏、クラブ顧問の田中久夫先生(現神戸女子大教授)の紹介状を持って、部員を率いて、尼崎市田能遺跡の発掘に一ヶ月間参加する。発掘現場では石野博信氏(現徳島文理大学教授)、萩原儀征氏(現桜井市教育委員会)の指導を受ける。
1967年
毎日新聞主催田能遺跡保存案コンクールに応募し、特選入賞論文に選ばれる。
1970年
岡山大学理学部に入学し、考古学同好会に入会する。考古学研究室教授故和島誠一先生に呼ばれ、11月より青銅器・鉄器分析の個人指導を受ける。
1971年
友人の佐藤敬二郎・服部孝廣氏とともに岡山大学学友会考古学研究部を創設し、部員が30名近くになる。同年春より部活動として、本格的に三須丘陵の分布調査を行う。その成果は『三須丘陵分布調査報告書』(1976年)として結実する。また部活動としては、定期的に遺跡見学会を行っていたが、当時としては珍しく学内だけでなく、広く一般に宣伝、一般の方々・他大学・高校生・中学生など幅広い参加者での多人数の見学会を恒常的に行っていた。
近藤義郎・春成秀爾先生の指導する考古学研究室主催の立坂弥生墳丘墓を初めとする発掘調査に参加し、両先生の指導を受ける。岡山市教委の四御神古墳の発掘調査に従事する。
1980年
市民の古代研究会に入会する。故織田重治氏主催の古墳探訪班に参加し、故石川昇氏、故多木正明氏の知遇を得る。
1985年
「遺跡めぐりの会」の案内役を行う。
1990年
高橋護先生(現ノートルダム清心女子大学教授)に師事し、土器胎土の砂礫分析法と使用する実体顕微鏡の操作法、吉備地方における弥生土器細分編年法を学ぶ。並行して奥田尚先生(橿原考古学研究所共同研究員)より岩石学の指導を受ける。
1992年〜1997年
市民の考古学研究会の活動を行う。
1998年1月
数名の仲間とともに考古文化研究会を設立する。
著書:共著『「邪馬台国」徹底論争 第2巻考古学、総合編』1992年 新泉社、共著『古代史徹底論争』1993年 駸々堂
論文:「古墳時代の考古学」『市民の古代 第17号』所収 ビレッジプレス社「前方後円墳成立論への一視点」、「論文『前方部の誕生』に寄せて」(いずれも雑誌『古代史の海』)「ホケノ山古墳出土土器と埋葬施設」、連載中の「初源的長持形石棺と正仙塚古墳棺」(いずれも会報「考古文化」)など。
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